東京都高校野球OB連盟のホームページ特別企画として
第5回は都立国分寺OBの高辻 聡さんです。
>高辻さんをご指名されたのは、東亜学園の小嶋さんです。小嶋さんとはどのようなきっかけでお知り合いになったのですか。
「私は息子が入部したことをきっかけに杉並区の少年野球の指導者をしていました。その際に小嶋さんの息子さんも同じチームに入ってまして、そこで同じお父さんコーチとして知り合いました。マスターズのこともはじめは小嶋さんから聞いて、後に国分寺が加盟を検討する際にはいろいろな話を聞きました。」
>なるほど、息子さんの少年野球のきっかけでマスターズ甲子園を知ることもあるのですね。
高辻さんも小学校時代に野球をはじめたのですか。
「私の出身は東京の東大和市なのですが、近所に住むお兄ちゃん達に誘われてソフトボールを始めました。そして、市内の支部大会で優勝して市の大会に出ました。で、今度はそのチームで軟式野球をはじめたのがきっかけです。
学校帰りに三角ベースなどもやってましたが、チームに入ったのはその時が初めてです。どちらも4年生くらいでしたね。立ち上げメンバーの主力の6年生のお兄ちゃんにくっついていく感じでした。ですので、スポーツ少年団のような本格的なものではなく、地域のただの草野球チームでした。結局、その小学校のチームメイトがほぼ中学校でも野球部に入りました。
中学の野球部は、弱いとは言えないけれど、そこまで強くもなかったです。そこそこ強い。西東京の大会(当時北多摩西支部)で2、3回は勝ててましたけど、それでもベスト32くらい。その後に高校でも野球を続けたメンバーも多かったですね。」
>中学を卒業して、高校野球をやろうと思ったのはいつ頃になりますか。
「高校への進学は、実は立川高校に行きたいと思っていた時期もありました。ただ当時は群制度がありまして、立川と国立は選ぶことができなくて、合格してもどちらに進学できるかわからない。当時の自分はそれがどうしても気に入らなくて、結局国分寺を選択したんです。国分寺には軟式野球部しかないこともわかっていたんですが、それでも私としてはちゃんと選択をして高校に行きたかった。
でも実際に国分寺に合格してからは少し寂しい気持ちもありました。中学野球部のメンバーと進路が決まったあと、高校野球の準備のための練習をしていたんですが、みんな硬式で練習をしてまして。私も硬式野球やりたいなと思っていたことはよく覚えています。」
>そこから結局、国分寺高校で硬式野球部を立ち上げることになったのですよね。立ち上げにあたっては、かなりご苦労もされたのでしょうか。
「苦労というほどのものなのかどうかはわかりませんけど、入学した国分寺高校は軟式野球部しかなかった。それでも野球部に入部したメンバーといろいろ話をしてみると、中学時代に硬式で真剣に野球をしていた選手が揃っていました。ですから、入学してすぐに『いつか硬式に変えようぜ!』なんていう話もしていました。
具体的に硬式にしようという動きを始めたのは2年生の秋以降です。軟式野球部の顧問の先生に積極的に職員会議などで頑張っていただきました。先生も高校野球経験者で、以前より硬式野球部を作りたかったそうです。我々の10年くらい上の代の時も硬式野球部に変えようと動いたけど、その時は実現できずに立ち消えてしまったそうで、今回こそ、という思いも先生にはあったようでした。ちょうど私たちの代が秋の大会で東京都3位になり関東大会にも出場。そこでも3位になるなど校内でも話題になりました。ですから、このチャンスを逃すまいと先生もかなり積極的に動いてくれました。私たちは他の運動部の理解を得られるよう校内で署名活動などを行いました。また硬式なので危険も伴うということで、ノックやバッティング練習の方向を検討しなければとか、他の運動部との練習時間の調整とか、たくさんやらなければならないことがありました。」
>そのような地道な活動の成果もあり、ようやく念願かなって、ついに2年生の3学期に硬式野球部が承認されました。夏の大会の参加に向けて、どのような準備をされましたか。
「2年生の時の秋季大会が終わってから硬式野球部を立ち上げる活動をしたのですが、全校署名活動をし、それをもって職員会議で承認され、校内の各部のキャプテン会議で活動方法について調整をするなど、かなり時間がかかってしまいました。そもそも硬式の秋の大会には出場していませんので、春季大会の権利はなく、秋冬はとにかく夏の大会に向けての準備に必死でした。アルバイトしてグローブを買ったり、野球部でバットやボールを揃えたり。。ホームに向かってノックを打つ等々グランド確保での問題もありましたので練習時間も十分とれず、結果的にはほぼぶっつけ本番で大会に突入した感じですね。
初戦の対戦相手は都立武蔵。試合は5回コールドで終わってしまいました。私たちは軟式時代には都内でも強豪といっていいのかな、そこそこ強くて、練習試合でもほとんど負けたことがありませんでした。公式戦でも関東大会まで進出しています。私たちの代では公式戦で負けたのは、軟式時代の都大会の決勝と関東大会の準決勝、そして硬式の初戦となった武蔵戦だけです。とにかくあっという間に試合が終わってしまったという印象でしたね。」
>プレーをする上で硬式と軟式の違いなど感じることはありましたか。
「それはやっぱり感じました。打球速度も違いますし、硬式でプレーしている人の方が技術レベルも高い。実質半年程度しか硬式で野球をやっていないので、いわゆる慣れの面での差も感じました。
ただそれより何より驚いたことがあります。初戦の武蔵との試合には本当に多くの方が応援に来てくれました。学校の仲間や保護者などでもうスタンドが超満員です。
軟式時代に関東大会に出場した時ですら、ほぼ無観客試合と言っていいような状況だったのに、1回戦からこんなにたくさんのお客さんが来てくれる。自分の野球人生で初めて、野手同士の声が聞こえないという経験をしました。私はショートを守っていましたが、ショートのポジションからマウンドまでも声が届かない。これが硬式だ、これが高校野球だな、と実感しました。本当に驚いたと同時に感動しましたよ。」
>高校卒業後は、大学でも野球を続けた高辻さん。大学でも続けようとはいつ頃から思われてましたか。
「やらなければならないことがたくさんありすぎて、硬式野球部立ち上げを決めてからの1年間が本当にあっという間で、気付いたら夏の大会が終わっているような感じでした。実質、いわゆる甲子園を目指して高校野球をやったのは3ヶ月程度、まだまだ野球をやり足りなかったんでしょう。
明確には覚えていないけど、志望大学を考えるときに、もう迷いなく野球を続ける前提で大学選びをしていましたね。六大学でやれたらそれは嬉しいけど、さすがにそのレベルでやるのは少し難しい。自分でもプレーを続けられる大学はあるのか、そんな視点で大学を探してたら当時の担任の先生から呆れられたりもしました。でも結局は、その先生が東京外国語大出身で、野球部も東京新大学野球連盟というところに加盟しているなんて情報を聞いて。
結局、私も東京外国語大学に進学することになりました。入学後にすぐに野球部に入部して、ピッチャーにも挑戦したりして、思う存分硬式野球をやりましたよ。当時は新大学野球連盟の2部で、すごくレベルが高いチームではなかったですが、自分にはぴったり合っていてよい経験ができました。
大学卒業後も会社の準硬式野球のチームでプレーを続けました。海外駐在の経験もしましたけれど、そんなときでも現地にある日本人の野球チームに誘ってもらってプレーしていました。また子供が生まれて、子供が野球を始めたら、今度は子供の野球チームのコーチもやりました。そのお父さんコーチの繋がりで、早朝野球のチームでプレーしていたこともあります。朝6時~8時まで野球をやって、そのあとに駅のトイレで着替えて、仕事に行ったりしました。もう自分の人生で野球をプレーしていなかった時期はないですね。レベルの差こそあれ、この年までずっとプレーを続けています。」
>マスターズ東京にはどのようなきっかけで加盟しようと思われたのですか。
「私としてはそんなこんなで、自分の野球と子供の野球、毎日忙しくしてたので、小嶋さんなどからマスターズ甲子園のことを聞いてはいましたが、そこまでピンとはきてなかったんです。
でも国分寺のOB会は軟式時代からの伝統もあって、繋がりも深く、よくOB同士の飲み会などもありました。その際に比較的若いメンバーからも『是非やりたい!』という意見が出ましてね。
そこからは、もうまず小嶋さんに相談して、前東京連盟会長の酒井さん(小平高校OB)にも連絡をして、いろいろ情報を仕入れて必要なメンバーを集めていきました。とにかくまずはメンバーが必要ですから、いろいろな代のOBに連絡して、メンバー勧誘しました。それで2018年のシーズンから連盟に加盟することができました。
高校時代の硬式への転換の経験もありますし、こういうチームの立ち上げは大変ではあるけど、楽しいですよね。」
>マスターズに加盟して、一番の思い出を教えてください。
「それはもう、加盟初年度の2018年の初戦です。くじ引きの結果、なんと相手は都立武蔵でした。自分達が立ち上げた、国分寺高校硬式野球部の公式戦初戦と、30数年後のマスターズ加盟初戦が同じ対戦相手。それはそれは、もう盛り上がりましたね。
武蔵にも当時自分達と対戦したメンバーもいましたから、感慨もひとしおです。
実は武蔵とはマスターズに加盟してすぐに合同練習もしているんです。学校も近くなので共通の知り合いなどもいまして、武蔵さんの飲み会に参加させて頂いた際にはとても盛り上がりました。マスターズの戦い方なども教えてもらったりしましたよ。
高校時代には5回コールドで終わってしまいましたが、今度は絶対に勝ってやろうとメンバー全員が燃えていましたね。そして試合は今度はうちの大勝で高校時代のリベンジを果たしました。その年は次の試合も勝利して準決勝まであと一歩のところまで行きました。また、こうして甲子園を目指して野球ができるのは幸せですね。」
>ずっと野球を続けている高辻さんの目からみて、マスターズの特徴や魅力などはどう感じてられていますか。
「今年はマスターズ甲子園にPL学園が参加します。実はたまたま桑田選手などプロ野球のOB選手が集まって試合をするドリームマッチをテレビで観戦しました。そこで桑田選手がショートを守っていたんですけど、三遊間の深いゴロを逆シングルで捕球してセカンドでフォースアウトにするプレーを見ましてね。やっぱり彼はすごいなと。50歳を過ぎてあのような一瞬の判断を要するプレーをサラっと決める。刺激を受けましたね。そんな選手たちともやれる可能性があるのはやはり野球人としては魅力的ですよ。
まずもって純粋に、また硬式で野球がやれることは素晴らしい。それにOB会の繋がりも深くなりますよね。昨年はOB会で現役野球部へバッティングマシンを寄贈したんですが、そのための資金などもマスターズ加盟で培ったネットワークがあってこそ。その後に現役野球部がベスト8まで勝ち上がりましたし、マスターズと現役の相乗効果みたいなものはありますよね。
それから高校まで野球をやっていた人の集まりなので、野球への想いが強い人が多く、マスターズは特にその純度が高いと感じます。他の学校の方ともお話しても、やはり今でも深く野球に関わっている人が多いので、人と人との繋がりにも驚かされることも多いです。少年野球、中学野球、高校、大学、クラブチーム、女子まで含めて、あらゆるカテゴリーに何らか関わっている人がマスターズにはいますので、「あの人とこの人が知り合いなんだ」とか、「今度、この人を紹介してください」など、野球を媒介にしていろいろな人が繋がっていく楽しみというか面白味を感じています。人生が豊かになるというと大袈裟ですけど、ここには素晴らしい野球コミュニティがあります。これはマスターズの大きな魅力の1つだと思いますね。」
>新規加盟を検討しているチームも増えてきていますよね。
「PL学園の参加もあってマスターズ甲子園を知る人が増えてきていますね。確かに『甲子園』は加盟するにあたって1つの大きな目標で、それはとても大事なんですけど。
でも、今や参加校も増えて、都道府県の予選を勝ち抜くのも大変です。時々、『こんなに加盟校が多いのなら結局、甲子園に出れないよ。』なんていう意見も聞くんですけど、またこうして硬式で野球ができるっていうのがとても楽しいってことは伝えたいですね。現役野球部が予選を行うような正規の球場で、場内アナウンスもついて、母校のユニフォームを着て試合ができる。終わってしまった高校野球をまだ続けられるというのは、ここでしか体験できない唯一無二なことだと思うんです。
どうしても『甲子園』ありきで語られたり、メディアに取り上げられたりするけれど、本質は『甲子園に出れる、出れない』じゃない。一生涯、甲子園を目指して野球を続けられる場があること、これがマスターズの最大の魅力だと思っています。僕もライバルが増えるのは悩ましくもあるけれど、それでもマスターズの魅力が正しく伝わり、もっと加盟高校が増えるといいなと思っています。」
硬式野球部を立ち上げた高校時代から、プレーすることをしなかった時期はないと笑いながらお話してくれた高辻さん。「永遠の高校球児」として、今日も明日もグランドに立ち続けてくれることでしょう。
お楽しみに!