東京都高校野球OB連盟のホームページ特別企画として

加盟校の選手にリレートーク形式でインタビューを行う『終われない俺たちの夏』

第2回は都立武蔵高校OBの榎本啓二さんです。

>豊多摩高校の岡崎英敏さんからのご紹介ということで、まずは岡崎さんとの出会いやエピソードをお聞きしました。

「岡崎さんと知り合ったのは多分、関東大会かなにかの懇親会の時に隣同士になったんです。あの人、背も大きくて目立つじゃないですか。最初は話しかけるの勇気がいったんですけど、話し出すととっても面白い人ですぐに野球の話で打ち解けました。都立武蔵は練習で球場などを確保できたとき、人数の関係で他校の方も合同練習として参加してもらうこともあるのですが、そんなときも岡崎さんはよく来てくださいまして。今でも年に一度くらいは日程を合わせて高校野球を観戦したりしています。朝から晩まで一日4試合一緒に見たこともありましたよ。

>一日に4試合どころか、年間70試合は野球の試合を観戦しているという榎本さん。東京はもちろん神奈川、埼玉、千葉の高校野球も観戦に行くそうです。

「プロ野球はそれほど観戦には行かずに高校野球、大学野球中心です。夏だけでなく秋の大会も見に行きます。関東近郊で行けるのならば始発に乗ってでも見に行っちゃいますね子供が小さいうちは習い事の都合もあり土日がなかなか時間がとれなかったのですが、最近は子供も大きくなったこともあり、以前の反動が出てしまったのか、しょっちゅう野球観戦に行っちゃうな。」

>今と同様に少年時代から野球が大好きだった榎本さん。近所の仲間と日が暮れるまで野球をしていたとお話ししてくれました。

「僕の育った町は田舎だったからなのか、今のような組織だった少年野球のチームはありませんでした。だから周りの仲間を誘ってチームを作って遊んでいました。実際には半分くらいはソフトボールな感じでしたね。学校終わったらまず川で水浴びして、4時くらいから近所の高校のグランドで勝手に野球やって、汗かいたらまた川に入って。本当に自然溢れる中で、野生児のように遊んでいました。指導者もいなかったんですけど、父親が野球好きで、よくノックはしてくれました。中学に進んでも野球部がなくて、仲間たちと独自の野球チームを作って、朝に学校のグランドで練習してました。この時までは特に野球を教えてもらったことはなかったです。それでもそんな生活で体は鍛えられていたんでしょう、体力テストのソフトボール投げは校内の誰にも負けませんでしたよ(笑)」

>そんな中学生活を経て入学した都立武蔵高校。榎本さんはこれまでの遊びのチームから初めて野球「部」に入ります。

「そんな小中学を過ごしたので、本格的に硬式で野球をやるのは少し腰が引けていたんです。入学当初の4月には野球部に入部すると決心できずに、一度軽音楽部に入りました。でも音楽室から野球部の練習がよく見えて、それを見てるとやっぱり野球がやりたくてしょうがない。結局、GWの前には野球部に入部しました。実は入部当初の4月の練習は一番辛い練習で、1年生は体力作りばっかりなんです。今でも当時のメンバーには、一番辛い4月の練習に参加していなかったっていじられてますよ。武蔵の野球部は全体の中ではそれほど強いわけではなかったと思いますけど、でも自分にとってはやっぱり衝撃でした。高校野球のレベルの高さに驚きました。」

>それでも新チーム結成後はキャプテンになるなどチームの主力として活躍した榎本さん。

「三年生の夏は二回戦で当時、前評判の高かった実践商業(現在の実践学園)と対戦しました。歴代のチームの中でも特に期待されていた代だったようです。実践商業のグランドが高尾にあったんですけど、大会前にメンバーの一人がこっそり偵察に行ったんです。でも、戻ってきたら真剣な顔で「見に行かなきゃよかった」なんてこぼすくらいすごいバッティング練習だったみたいで。だからこの日で夏が終わるなと半分覚悟して、試合に臨みました。ところが、僕らの時のエースは2年生だったんですけど、その試合でいきなり覚醒して、変化球はキレキレだわ、普段は悪いコントロールも抜群だわで、なんと5-2で勝ってしまったんです。勝ったときは本当に野球ってわからないもんだなと思いましたし、こういう番狂わせを起こせるのが野球の醍醐味だなと感じましたね。結局、次の試合で同群対決となった三鷹に負けてしまったんですが、自分の高校野球としては、やるだけやった、やりきったという思いはありました。」

>高校を卒業後も数年はOB監督として後輩を指導していた榎本さん。しかし大学を卒業すると仕事との兼ね合いもあり、なかなか硬式野球に携わることはなくなっていきました。

「会社では軟式野球はやってました。地方勤務になったときでも、遠隔地でやる試合にクルマで何時間もかけて参加したりしていました。でも硬式はさすがにやってないし、母校のOB会にもなかなか参加はできていなかったですね。ただそんなときに同期から高校のOB会の後、紅白戦やるから来てくれって誘われたんです。」

>ほぼ20年ぶりに顔を出すOB会だったこともあり、紅白戦は軟式でやるものと決めつけてグランドに行った榎本さん。

「最初はまだ現役野球部が練習をしているのかと思ってたら、みんなOBだって言うんです。え、硬式でやるの?本当に??って衝撃を受けました。で、よくよく話を聞いてみるとマスターズ甲子園っていうのがあって、そこの予選に去年から武蔵のOBが参加しているって説明されて。はじめは半信半疑ですし、硬式なんていきなりできないよって思ったんですけど、結局家に帰って、すぐにスポーツ用品店に行っちゃいました。そこでまたタイミングよく、すごく自分の手にしっくりくる型のキャッチャーミットを見つけちゃったんです。手にはめてみて、すぐにこれだ!って決めて購入して、家帰って型付けのためにボールや木槌で叩いたりしてたら家族から驚かれました。本当に興奮して、ミット買った最初の日は枕元に置いて寝る勢いでしたね。」

>そんなきっかけで再び始めた硬式野球。今では武蔵の監督も兼任し、選手起用にも頭を悩ませます。

「マスターズは年齢制限や、時間制限などルールがいろいろあり、選手起用は最も頭を使います。せっかく集まってくれたメンバーだから、どうにか全員を試合に出したい。でも後半は35歳以上じゃないと試合に出れない。事前にどんな選手を使うかプランを立てていても、その通りに試合が進行するか分からない。メンバー表をみながら毎試合、パズルをといているような感じです。

もちろん、メンバーの集まりによっては、僕もマスクをかぶって試合に出ます。真夏の試合で、キャッチャーフライとランダウンプレーで走り回った時には、目眩がして血の気が引くのが分かりましたよ。」
と、笑いながら話をしてくれた榎本さん。

>マスターズでの一番の目標を聞いてみました。

「うちの若手にすごくいいピッチャーがいるんですけど、まだ年齢制限の関係でマスターズの公式戦には出れないんです。(マスターズルールで投手は27歳にならないと登板できない)彼が来年には登板できるようになるんですけど、その球を受けたいですね。硬式用のミットでしっかり速い球を捕球する。これは野球やった人にしかわからない快感じゃないですか。マスターズに参加すると本当に高校時代にタイムスリップした気分になります。母校のユニフォームきて、20も30も下の若手と野球ができる。忘れていた感覚がどんどん蘇ってくる。こんな魅力的なことはありませんよ。」

甲子園にいくのも大きな目標だけど、それ以上に、母校のOBチームで硬式野球ができることが幸せだと語る榎本さん。マスターズ加盟校の輪がもっと大きくなってほしいですね。

次回は、日体大荏原高校OBの増田義昭さんのインタビューを掲載予定です。

お楽しみに!